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Cafetier物語 (8)開業前 トルマリン農園主 島野さんとの出会い…コーヒー豆の事を学んでいた時SCAJ(スペシャリティコーヒー協会)の展示会へ行く機会がありました。 たまたまチケットをもらったのでした。 そこで出会ったのが「トルマリン農園」の島野さんでした。 ▲島野 俊哉さん(資料 トルマリンコーヒージャパン提供) 島野さんが最初に発した言葉が「お前らモグリだな?」でした。 そう、サラリーマンで趣味で焙煎していて名刺も適当に作ったもので「Cafetier 横浜」としてありました。 最後の日本人移民としてブラジルに渡った島野さんは、日本語が出来るという事でブラジル政府から「お前日本語わかるんだから日本のイベントでブラジル豆を売ってこい!」と役目を押し付けられたそうです。 正体を見破った島野さんは親切でした。よくよく産地の事も品種の事も惜しみなく話して下さいました。 当時としては画期的な、20kg袋箱入りで輸入していただけでなく、品質管理もよく考えて作られていました。 ▲トルマリンコーヒーの20kg箱。 ブラジルのトルマリーナ地方で岩盤を打ち砕き、地面を起こし、保水ゲルを地面に入れ、生石灰で酸性になった土壌をアルカリに戻し、等高線に沿った畝にコーヒーの苗木を植え、延長何キロメートルにも及ぶ灌漑用水のパイプで点滴灌漑をして一斉開花をし、効率良く収穫機で収穫をする。 ▲一斉開花の様子 (資料 トルマリンコーヒージャパン提供) ▲完熟度が揃ったチェリー (資料 トルマリンコーヒージャパン提供) ▲収穫の様子 (資料 トルマリンコーヒージャパン提供) 収穫したチェリーはナチュラルとセミウォッシュト、ウォッシュトに分け、振とう篩でスクリーンを16、17、18と分けて出荷していました。 今考えても仕上がった生豆は最高品質でした。99.9%以上の精製率でした。 Cafetierの開業後もずっと卸売して付き合ってくださりました。 日本に来た際には全国をまわり、当店へもお立ち寄り下さいました。 ▲2009年3月17日にご来店いただいた時の写真です。 島野さんの胃癌手術に伴ってトルマリン農園は売却されてしまいました。その後島野さんはサンパウロに引っ越されたとの事です。 続く…
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